「無題」


「……セト。あなた、自分が何をしているのかわかっているのですか?」
アイシスはキッと睨みつけるようにセトを見上げた。
だが、セトに動じた様子は見られない。
「なんのことだ? アイシス」
いつもの不敵な笑み。この笑みがアイシスは嫌いだった。
セトとはもう長い付き合いになる。けれど、まだ彼には謎が多かった。
何を考えているのかよくわからず、いつも他人を見下ろしたような目を向ける。
そう、今アイシスを見下ろしているこの瞳。
「隠そうとしても無駄です。……私の持つ千年宝物のことはあなたもよくご存知なのでしょう?」
言いながら、アイシスは己の胸で輝きを放つタウクに指を添える。
神官として選ばれた日から、アイシスはこの千年タウクを身につけている。
それは眠るときも外すことはない。言わば、このタウクは一身同体なのだ。
「……私には見えたのです。セト、あなたが白き肌と青き瞳を持つ少女を
 この宮殿に連れ帰る姿が。そして、これから少女を襲うであろう悲劇が」
セトから目を逸らさず、己の動揺を隠すことなくアイシスは一言一言ゆっくりと告げた。


そう、それはほんの少し前のことだった。
突然激しい頭痛に襲われてしまったのだ。そして、瞬時に頭に駆け巡るヴィジョン。
アイシスの持つ千年タウクが見せる未来だった。
タウクはアイシスに教えてくれた。
自分の仲間……セトが、1人の少女を宮殿の奥に連れて行く姿を。
そして、その少女にこれから降りかかる災難のことを。
けれどその日、セトは何事もなかったかのように街から帰ってくると
そのまま自室に篭ってしまうと一度も部屋を出ることはなかった。
仕方なく、アイシスは夜になるのを待つと自分からセトの部屋を訪れたのだ。
そして、今に至る。

「…………ククッ……」
自分を睨みつけるアイシスを一瞥すると、セトは視線を逸らして薄い唇に笑みを浮かべた。
「何がおかしいのです」
この男は、本当に何を考えているのかわからない。
アイシスは言いようのない不安を感じていた。
「そうだな……お前がいることを忘れていたな……」
思い出したように呟くとセトはアイシスの細い手首を掴み、
一気に己の方へと引き寄せた。
「!?」
突然のことになす術もなくアイシスはセトの胸に雪崩れ込んでしまう。
「何を……っ!!」
激昂しようとしたアイシスの言葉が途切れた。
顔を上げた彼女の唇を、セトのそれが塞いでしまったから。


一瞬、アイシスは自分が何をされたのかわからなかった。
ただ、唇に何か感触があり、目の前に目を閉じたセトの顔がある。
そして、唇に何か湿った感触が伝わってきたところで、初めて自分が
口付けをされているのだということに気づいた。
「……ん……んッ……!!」
唇を割ってきた舌を抑えることができず、そのまま侵入を許してしまう。
力の入らない両手でセトの胸を叩くが、セトは力強くアイシスを抱きしめており
ビクともしなかった。
セトの舌に翻弄され、次第にアイシスの体から力が抜けていってしまう。
やがてセトの胸を叩いていた両手がだらりと下に下ろされ、抵抗が止んだところで
セトはやっとアイシスを接吻から解放した。
「……はぁ……はぁ……セ、セト……あなた、何を……」
セトの胸に凭れ掛かるようにして力なく息をしているアイシス。
頬はほんのり朱に染まり、生理的な物なのか目には涙が浮かんでいた。
けれど、あんなに長い口付けにもかかわらず、セトは息一つ上げていない。
ククッ。とセトが笑った。
「なんだ。初めてだったのか?」
図星を付かれてカアッと顔が赤くなるのを感じる。
いつも大人じみた態度で接しているアイシスの思わぬ表情を見れたからか、
セトは小さく声を出して笑うとそっとアイシスの髪に指を絡ませた。
「そ……そんなことはどうでもいいのです!
 それより、どういうつもりなのですか! セト!」
「口封じだ」
サラリと言ってのける男に、アイシスはカッとなって右手を振り上げた。
だが、まだ力の入らない手は難なくセトに掴まれてしまう。
セトが咽喉の奥で笑うと、アイシスは悔しそうに唇を噛み締めた。
未だアイシスの体はセトに抱きしめられたままだ。先ほどから
何度もセトの腕から逃れようと身を捩ってみたが、力強い
セトの腕はアイシスの力ではビクともしなかった。


「なんだ? もう一度してほしいのか?」
そんなアイシスの無駄な足掻きに、セトは手首を掴んでいた腕を離すと
ぐっと彼女の顎を自分の方に向けさせた。
その時、セトの瞳の中に写っている自分の姿をアイシスは見た。
……そう、まるで肉食獣に襲われている獲物のように怯えきった自分の姿を。

アイシスはセトの目が嫌いだった。
何を考えているのかわからない……そして、いつも自分を怯えさせる、この瞳が。

もうすでにアイシスの頭からは当初の目的は忘れ去れていた。
一体自分は何をしにここまで来たのだろう?
そんなアイシスの思考を遮るかのように、セトは小さく笑うと
そのままアイシスを抱いたまま部屋の中に入り、開け放っていた扉を固く閉じた。
夜はまだ始まったばかりなのだから。


2004年10月7日うp

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